講義を聴く、ということは凄く贅沢なことだ。
論文やレポートを作成するにあたって本を読むことがあるけれど、講義は一人で本と睨めっこするよりはるかに手軽に知識を獲得出来る。
大学生になった当初は、というか最近まではそのことに気がつかなった。
自分が大学に入学したての時は、大学はというところは非常に退屈でつまらないものだと思っていたし、講義を受けずに途中で家に帰ったりとかBOOK-OFFに寄り道して「BECK」なんか読んでたりしてた。
講義をする先生はほとんどやる気がないように見えたし、一般的な講義科目も興味がなかった。
だから真面目に講義を受ける気なんて起きなかった。
2年生のときはアメリカに行くためにひたすら派遣の仕事をしてお金を貯金しせっせと働いていて、その疲れで授業中の半分は寝ていて起きていても小説や新書を読んでいた。
大学に対してそんな舐めきったことしていた自分だが、3年生になるとやや真面目になる。
卒論を意識しだして本を読むようになって、受講する講義も専門的なものになってやっとおもしろく感じてくる。
「卒業」というものが意識的にはっきり見えてくるのもこの頃だ。悔いのないように生活しようと心掛けるようになる。
現在は今まで以上にそれが明らかなものになっている。
今年は大学の講義はほとんど取る必要ないし、卒業要件を満たすためにはあとゼミと2,3個の単位を取得するだけだ。
4年生になって受講する講義の数が少なくなり、卒業論文も深く突き詰めて勉強し本を読むようになると講義が希少価値を帯びてくる。
積極的に本を読むということは正直言って面倒だし、それが難解な文章で書かれていて理解しなければならないとなると、かなり骨の折れる作業になる。
それで自分の理解力の乏しさに憂鬱になるのだが、かと言って読まなくなると、読んで理解しないと先に進めないなから、それはそれでまた憂鬱になる。
逆に大学の講義は、本人の態度がどうあれ受動的に流れてくる。
先生は勝手に喋ってくれるし、自分はそれを聴くだけだ。
大学の講義は、先生が何十年間も勉強してきた分野を12,3講に凝縮し学生のためにわかりやすく解説してくれる。
先生も何十年間の結晶を12,3講にまとめるなんてそもそも無理なことだと思っているだろうから、それでも仕事として伝えないといけないから結局生徒には一番基本的で大事なところを言う。
それをイスに座っているだけで聴けるものだから、我々学生にとってはとても贅沢なことだろう。
確かにやる気もない先生もいるだろうし話が退屈な先生もいるだろうから大学の講義を全面的に肯定することは出来ないけど、それでも大学の講義って十分聴く価値があると思う。
つまらない講義や興味のない科目は自分も寝ることはある。
だけど興味ある科目だけは本気で真面目に取り組みたい。
それは大学にいる間しか出来ないことだ。それが自明な事実として自覚する頃には、もう今になっている。
今日履修していない社会学概論を聴講しながら、そんなことを考えた。
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