完全に、そもそも近づけない
冬休みになって、寝る時間が遅くなった。朝、目が覚めるのも12時くらいになっている。
生活が夜型になっている。
夜のが物事がはかどりやすくなるのだけれど、やはりもう少し早く起きるようにしたい。
そう言って早くなることはないだろうけど。
卒論がうまく書けない。
書けない理由は、先生が何を指摘していたのか忘れたということと、ぼんやり覚えているものはあってもその指摘が乗り越えられないということだ。
冬休みの進捗具合で優秀論文に推薦するか否か見極めるということだが、無理かもしれない。
「容疑者Xの献身」を観た。
堤真一が演じる石神哲哉に共感してしまった。
好きな人の幸せを追求するためにあそこまでできる石神哲哉に対して、感じていいのかわからないが、好感をもった。
相手の幸せのために自分が犠牲になって他の人と結ばれることを願うことは、ある意味ではこれはベストなんだと思う。
もちろん、自分と好きな人が結ばれることが最大のベストだろう。
自分と自分の好きな人が結ばれることが最高の幸せであることには間違いない。
だが、結ばれようとする試みは当然の行為のようにみえるが、そこには自身のエゴが隠れている。
自分の幸せを追求することは当たり前のことだと思うし、仮にエゴが人間の本性という見方をするであれば、自分があきらめて相手の幸せの願うというその行為はかなり綺麗事だろう。
しかし、もし幸せになるために自身のエゴを認めるのであれば、相手自身の幸せのために相手のエゴも認めなければならないだろう。
なぜなら、私見ではあるが、一方だけが望む幸せなど幸せではないからだ。
完全なベストとは、相手を不幸から解放して自分と想いをよせている相手が結ばれることだろうが、もしそれを相手が望んでいないのであれば、それを求めることは相手の不幸を再生産してしまうことになる。
幸せを求めることが目的であり且つそれが愛というのであれば、自分が犠牲になって相手が別の相手と結ばれることも考慮しなければならない。
福山雅治が演じる湯川学としては、この行為は納得できないかもしれないが、間違っているということも言えないんじゃないか。
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